kmntanの日記

眠いです。

浪人するということ

キャスでただ打鍵音を流しているだけですが、次の記事もそのまま書いていこうかと思います。おなかがすきました。

 

仮面浪人を決意したときは、仮面浪人って特別なことだという意識が強く、周りに理解してくれる人が少ないんじゃないかと思っていました。実際そうです。だから仮面していることを打ち明けた人はそう多くはないです。

今のところ、高校の友達には3人、大学の友達には1人、大学の授業で知り合った仮面浪人の仲間₍?₎は1人、家族は母親にのみ、高校の恩師の先生1人だけです。不都合は多々ありますが、いうほどみんな私に興味はないと思っています。

高校の友達には「SNS中毒だったのに最近更新しないね」と言われたり、「生きてる?」と心配されたり、遊びに誘われることもないわけではなかったです。実際息抜き程度に誘われたときは遊んでいたし、そのたびに資格試験の勉強をしていると苦しい嘘をついていました。

実際、サークルもバイトもしていないっていう文系大学生は死んでいるのと同じぐらい暇ですし、大学でも何も言い訳はしていないけど、察されてるんじゃないかと思います。最近はバレてもいいやと思い始めました。

 

 

浪人するということについて考えることがあります。いいことなのか悪いことなのか、経済的な視点で考える人を多く見かけます。例えば、浪人した人は生涯年収が現役合格者よりも減る、など。

高校の偏差値も語られることがあります。御三家と呼ばれる中高一貫校出身者は東大や京大を目指して浪人する人が多いのも事実です。浪人しているといろんな人に出会います。それでも、高校の偏差値を語るのはナンセンスだなと思っています。

高校は環境づくりに過ぎないと思っています。私は母校愛が強いので、高校選択は間違っていなかったと思っています₍進路関係を除く₎。楽しいことだけではなかったけれど、他の高校では味わえないようなことも経験できたし、総じて青春でした。

進路に関して言えば、学年の8割が私文志望で、国文志望者はほとんどいませんでした。というか、2,3人しか見たことがないです。生粋の国文合格者も0だった気がします。外大とかAIUはいました。毎年早慶進学者が多いのもあって、早慶推しが強かったです。そんな環境にいては当然とも言えるでしょうが、私も気づいたら私文志望になっていました。高2までは立教志望でした。

勉強ばかりの超進学校と言われる環境や、そこそこの進学校、自称進学校、様々高校はありますが、やはり高校は環境に過ぎず、私たちにきっかけや選択を与えてくれる場所に他ならないと思っています。私が高校で楽しかったり苦しかったりしたのは、まさしく自分でそういう選択をしたからだと考えています。行事の幹部をやったり、部活に所属して引退まで続けたり、自分から行動しなければただ流されて生きていくのみです。

大学受験も同じではないでしょうか。生まれ育った環境こそ人生に影響しますが、所詮ないものねだりです。私は、親がある程度レールを引いてくれる家庭環境が羨ましいです。プレッシャーもあると思いますが、どこでもいい、何してもいい、就職してもいい、という環境で頑張るにはかなり自律している必要があります。このレベル以上の大学に行けと言ってくれる親がいるだけでも感謝すべきことなのかもしれません。応援してくれる人がいる限り、それを活力にして、理由は何であれ頑張れる要因になると思います。

 

仮面浪人するメリットなんてないに等しいです。ただ大学の実情を知ることができるのはいいと思います。実際私は一般教養の授業でいろんな授業を受けてみて、興味のある分野が分かったりもしました。

就職のことを考えるとなるべく名の通った大学に行くことは必要だと思います。民間企業は大学名だけでエントリーシートを振り分けているという話を何回か聞いたことがあります。どんな大学にいてもそうですが、四年間部活動を続けた人は就職に有利らしいです。そういう点を考えると、やはり高学歴は必要、、、なのかもしれませんが。

高校と同じで、「いろいろあったけどこの大学でよかった」と思えるような大学に進学するのが一番ではないでしょうか。その際、他人が言ったからこの大学に進学しただけだし楽しくなくても当然、と思ってしまうのはいいことだとは思いません。

自分の人生なので自分で決めるべきではないでしょうか。もし他人から勧められても、自分の意志が含まれないなら、きっとこの先後悔してしまうと思います。そう思い、私は仮面浪人を決意しました。

最後にこの画像を貼っておきます。

 

f:id:kmntan:20171017175247p:plain

 

それでは皆さんごきげんよう。おなかすいた。